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サンナ・パターソンの証し

 

 

あなたは今までに、生きている目的って何だろうという疑問を持った事がありますか?私は長い間その疑問を持っていました。私はかつて人生の意味について色々考え、この疑問に対するはっきりとした答えが知りたいと思っていました。ですから、このことについて私は自分の周りの人々に尋ねてみました。しかし、誰一人としてこの答えを知っている人はいないようでした。そして中には、「あまり難しく考えず、もっとリラックスして人生を楽しめば?」と言う人達もいたので、自分なりにそれを試みてみました。

私はたくさんの夢を持っていました。カナダに移住することもその一つで、それは実現しましたが、それでも頭の隅では同じ疑問が同道巡りしていたのです。私は、この心にポッカリ空いた穴を日常生活の物事で埋めようとしましたが、不可能でした。

そして、人生のある時点で、私はこの世以上の「何か」を探し始めました。それは、この世の中以上の目に見えない世界のことです。私は手始めに仏教のお寺を訪れ、その教えを聞いてみたり、東洋黙想の集まりにも参加したりしてみました。しかしこれらの教えは心にピンと来なかったので、それらの場所に再び訪れようという気にはなりませんでした。

 

当時、私にはクリスチャンの同僚がいました。彼女がこの「人生の疑問」について、大いに助けてくれたことを覚えています。仕事の合間に二人で人生の事を話したりしている内に、彼女は自分の通っている教会の聖書会に私を誘ってくれました。そこには落ちついた雰囲気の若い男女が集まり、聖書のある箇所についてじっくり話し合っていました。聖書に基づいて会話をしながら、お互いの感想を分かち合い、人生に着いて真剣に語り合っている彼らを目の前にして、私の心がすこしづつ揺れ動き始めました。そして、彼らは私のためにお祈りをしてくれました。

すると突然、あちこちでクリスチャン達に出会い始めたのです。神様は私の前にクリスチャンを送ってくれていたのです。そして、私は写真家のスタジオのボランティア活動を通して、North Shore Christian Centre教会に通っているある女性に出会いました。そのスタジオに通い始めてしばらくすると、彼女は日曜日にこの教会で催しているゴスペル・コンサートに招待してくれました。

教会でなまのゴスペルを聞くのは私にとってそれが初めての体験でした。心の底から力強く歌う聖歌隊を目の前にした時、大きな喜びと自由な心が彼らの表情から溢れ出て、私の心に伝わってきたのです! その時私には神様の存在がまだ良く解ってはいませんでしたが、彼らは心から信じて歌っているというのが手に取るようにして分かりました。そして、それと同時に開放されて歌っている人々と自分との間に大きな壁がある事を意識せざるを得なかったのです。自分は色々なものに縛られてどうしていいのか分からない状態にいる一方で、彼らは真実を見つけ、喜びに満ち溢れて開放されているのでした!

それから、聖書とは何か、「イエス・キリスト」とははたして誰なのかを知りませんでしたから、理解したいばかりに、あらゆる質問をこの教会の人達にしたのを覚えています。彼らは神様の愛によって、私に手を差し伸べ、お祈りしてくれました。そして私にも本当に神様がいるのか知りたいのなら、自分でも祈ってみればいいと言われ、ある夜私はベットの横で神様にお祈りをしてみました。すると神様は徐々に私にご自分の存在を示し始めて下さいました。聖霊の導き、そして自分自身の心も強く引かれていき、日曜日の夕方礼拝に参加し続ける内に、私は自分の心に抱いていた疑問に対する答えをここに見つけたと確信し、イエス・キリストを自分の神様、そして救い主として心に受け入れました! そして神様が自分の天のお父様となられ、イエス様は私の主、平安の君、またかけがえのない真実の神、愛の源となられ、私の心の内に住まれているのです!

それから何年もの月日が経ちましたが、主は私の祈りに数え切れないほど答えて下さり、聖霊、聖書、また兄弟姉妹を通して正しい生き方を示し続けて下さっています。だからこそ、我々の魂に真実の愛と平安を与えてくれる唯一の道は、イエス様自身と確信して言えるのです。イエス様の愛を経験すると人生観が本当に変わります。永遠に続く関係は存在するのです。

私は多くの人々が、生きる意味とは何かと考えながら生きていると思うのです。偉大なる全能の神様は、私達を造られた時に信仰の種を一人一人にくださいました。初めはほんの小さな種でも、いずれ大きな木となる可能性があるのです! 諦めず、真実を求めましょう!

 

マタイによる福音書7:7 

求めよ、そうすれば、与えられるだろう。捜せ、そうすれば、見いだすだろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。