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証し

 

カナダに住み始めて5年半という月日が流れ、また、わたしのクリスチャンとしての生活も5年を迎えようとしています。日本に居たとき、わたしはキリスト教の知識は全く持っていませんでした。実際、母や祖母が創価学会人であったため、(彼らはそれほど熱心な信者ではありませんでしたが)そのお寺や本山に連れて行かれたりしているうちに、自然と創価学会を信じるようになっていきました。

イエスキリストやクリスチャンのことは知っていましたが、それは、御伽噺のひとつであり、キリスト教は西洋人の宗教でアジア人のものではないと信じていました。教会に行ってみたいという願望は興味も手伝いあったものの、それはどこか敷居が高く、入りづらいという印象がありました。

 

高校を卒業して何年か後、看護師を目指しはじめたわたしは、人体の構造やその機能の素晴らしさ、精巧さに改めて感嘆し、誰かがわたしたちを造ったに違いないという疑問を抱きました。

 

日本の教育の中で、わたしたちに教えられる生命発生は、地球上に存在する窒素や水素などの物質に、稲妻などの自然現象がどうにか働きかけて、まず、単細胞動物が形作られたと言われる教育です。また、わたしたち人間は単細胞動物から進化し、また、猿から進化したといういわゆるダーウィン説が主流で教えられています。単細胞動物からわたしたち人間のような複雑な機能を持つ生き物になるのは、ちょっと無理があるかなとは思いつつ、また、体が形作られたとしても、どのように動くように出来るのだろうと疑問に思いつつ、わたしは何の深い疑いも持たずに学校で教えられた生命誕生説を信じていました。また、脳の構造はずべての人が同じなのに、どこからわたしたち一人一人の性格や気質はくるのだろうという疑問はいつもついて回りました。

 

看護師として働き始めてから、人の生死に携わるようになり、亡くなった患者さんの死後の処置をすることもありました。そのたびに死体というのは、まるで入れ物のようだと思いました。また、死というものに敏感になったのも事実です。「いずれは死ぬなら、なぜ人は生まれるのだろう。人生は決して簡単には生きていかれない。それならどうして生まれるのだろう」。こんな疑問がわたしの中で生まれました。

 

仏教は転生輪廻を信じています。これは、人間はこの世に何度も生まれ変わってくることを言いますが、わたしはこの世に再び生まれ変わりたくないなというのが正直な気持ちでした。生まれ変わるなら鳥になりたいと思っていました。また、仏教でも両親や他人を愛するように、よい行いをするようにと教えられます。しかし、そこまででした。もし、出来なかったら。。。。答えがありませんでした。もし出来なかったら、次に生まれ変わってくるときは人間ではないかもしれず、低能な生き物になりえるという教え(罰)でした。この教えの中で、自分の至らなさや罪悪感は増えていくばかりでした。

 

あるとき、ふっと、インドにひとり旅に行きました。インドでのマザーテレサの活動は有名でだれでも知っていると思います。わたしも彼女を崇拝していた人々の中の一人でした。彼女がキリスト教の尼であることは知っていましたが、彼女の中の何がそれほどまでに彼女を強い慈愛に満たさせるのか不思議でした。わたしも彼女のように生きていきたい、そんな気持ちでインドに旅立ったのです。

 

そこは、わたしが考えているような、正義感だけで出来るような活動ではありませんでした。貧しい人の中のもっと貧しい人が運ばれてくるような場所だったのです。日本人のわたしには考えられないような衛生事情でした。その旅の中で、幾人かの修行尼に会いました。彼らの笑顔がとても素敵で、彼らがとっても幸せそうに奉仕をしているのがわたしには印象的でした。それから、日本に帰国し、キリスト教に関する本や聖書を書店で立ち読みしたりしましたが、全く理解不可能でした。

 

それから何度かインドを訪れているうちに、何かがわたしに語りかけ、将来は世界で働けないだろうかと思い始め英語を勉強し始めました。そして30歳になったときに一大決心をして渡米しました。ここで生きた英語を学び看護免許を取り、経験を積もうと思ったのです。しかし現実は全く違いました。

失望の中で日本に帰国したわたしに、何かが、またわたしに語りかけ、一年後にはカナダの地を踏んでいました。

 

今わたしは、バンクーバーで看護師として働いています。その道のりは決して簡単ではありませんでしたが、たくさんの主の奇跡が、わたしをどんなに苦しいときも道引いてくださいました。

 

わたしに語りかけていた何か、それはイエスキリストだったのです。わたしがクリスチャンになる前から、彼はわたしの人生の行くべき道のりを知っておられ、わたしに語りかけておられたのです。看護免許を取得し、信仰の中での兄弟姉妹に出会い、そして、主に導かれた素晴らしい結婚をし、その声に従ってカナダに来てよかったと本当に主に感謝します。

 

日本には、イエスキリストを知らない人はたくさんいると思います。わたしもその中の一人でした。わたしたちの日常には雑音が多く、忙しさの中、主の語りかけを見過ごしてしまいがちです。しかし、主はいつもわたしたちに語りおけておられるのです。

主はわたしたち一人一人を造られました。わたしたちが生まれる前から彼はわたしたちの一人一人を知っておられ、わたしたちの行くべき道を良知しておられるのです。

 

マザーテレサのように生きていきたいという思いは、まだわたしに中に残っています。これから、主がどのようにわたしをお使いになるのか、常に主の語りかけに耳を傾けて生きたいのです。