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34日:マイケル・ラプシュ兄弟によるメッセージ

魂の平安

 

この世には平安(ピース)を探し求めている人々が大勢います。混乱だらけのこの世の中でも、心の平安を持つ事は可能なのです。そしてその平安はこの世から来るものではありません。

平安とは「穏やかで静か、かき乱される考えなどからの解放」などを意味しますが、ここで重要視するべき点は、環境ではなく私たちの魂の平安なのです。

<!--[if !supportLists]-->    <!--[endif]-->エレミヤ書291113

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈りを聞く。あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、わたしはあなたがたに会うと主は言われる。

  

この世にはいずれ終わりが来ますが、私たちの魂は続きます。この聖書の箇所にも書いてあるように主の私たちに対する気持ちは、イエス・キリストを通しての平安、将来、そして希望を与える事なのです。主は私たちの祈りにも答えたいのです。

 

確信できる結末

最近ビジネス会議に行ったときの事ですが、参加していたビジネスマン達が話していたのは、金銭の安全対策や自己保証などと心配事ばかりでした。この世には心配事で溢れています。私たちの魂の落ち着ける所がいったいあるのでしょうか。

 

この教会の創立者パスター・ロス(牧師)がまだクリスチャンとなる以前、ビジネスマンとして大成功していましたが、ある日彼のオフィスに入ってきた女性の言った神の言葉は彼の人生を大きく変えました。「ロス様、たとえあなたが全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になりますか。また、あなたはどんな代価を払って、その命を買いもどすことができますか。」(マタイによる福音書1626節)

人は皆裁きの日に全能の主の前に立つ日が来るのです。その時にたとえ2億万円を持っていたと言っても何の足しにもなりません。もしイエス・キリストが私たちの魂の中にいるのなら、私たちの予期する将来は天国へと続くのです。

 

完全な平安

<!--[if !supportLists]-->    <!--[endif]-->イザヤ書263節 あなたは全き平安をもってこころざしの堅固なものを守られる。彼はあなた(主)に信頼しているからである。

ここにも書いてありますように、イエス様に心を集中し、信頼を置くのなら彼を信仰する私たちでも完全な平安を保つ事ができるのです。

この教会にはある兄弟の描いた大きな迫力のある絵が飾られてます。それはイエス様が12人の弟子と共にボートに乗っている絵です。海は嵐で荒れ、弟子達は動揺し、死ぬ恐れであたふたとする一方イエス様が両手を天に上げている後姿が描かれてます。彼の面している遠くに見えるのは、静かな水平とまぶしい太陽が空を照らしているのです。この絵を見る時、「私の人生は今どんな嵐で荒らされているのだろう。」と自己に聞いてみる事ができます。

何人かの弟子は漁師だったので海には慣れていたはずですが、嵐がくるとその強烈な波に圧倒されてしまったのです。その真っ最中に眠っていたイエス様は弟子達に起こされました。彼は風と荒波を叱ると、すぐに止み、静けさが海を覆いました。

 

今あなた方の人生においても仕事、金銭、結婚などいろんな面で問題を抱えているかもしれません。しかし、あなたにもこの様な平安を保つ事ができるのです。あの時嵐を静止したイエス様は、今この時代でも私達の人生の嵐を静める力を持っているのです。

 

天の平安

<!--[if !supportLists]-->    <!--[endif]-->イザヤ書96節 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙(れいみょう)なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

どんな状況においても揺るがない平安はイエス・キリストから来ます。彼に信頼を置き彼の名を呼ぶなら、彼は安静、確信、自信、そして平安をくれるのです。

 

あなたの魂に空虚感があっても、それをこの世の中にある全ての何ひとつにも埋められる事はできないのです。お金やお酒などから得るのは一時的な満足感であって、目が覚めた時に私たちは虚しくなってしまうのです。

誰かが私たちにこう話しかけてくれているのです。「あなたの為に死んだんだよ。」と。彼は両手を差し出して、この世の全ての人に恵みと慈悲、そして平安を与えようと待っているのです。イエス様のした行為はイザヤ書535節にもこう書かれています。「われわれのとがめのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」この神のひとり子の従順な行動によって、彼の流した血潮が私たちの罪を洗い流し、雪のように真っ白にしてくれるのです!

<!--[if !supportLists]-->    <!--[endif]-->ヨハネによる福音書1427節 わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。」

 

・ヨハネによる福音書1633節 これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。

 

イエス様はあなたのことを待ち望んでいます。 神がイエス様を十字架の死の三日後に甦らせたと深く心に信じ、イエス様は主と告白するのならそれは救いに繋がるのです。

この世の一人ひとりが、イエス・キリストを通して日々与えられる平安を持ち続け、生きていく事が可能なのです!